シンプリストの最終ゴールは自給自足?

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私がミニマリストではなく、シンプリストを目指す理由では物選びの観点から、私なりのシンプリストの定義をまとめた。しかし、物選びはシンプリストというライフスタイルの一部でしかない。

持ち物を変えるだけでシンプリストにはなれないと思うし、外見だけのシンプリストというのも何だか虚しい。それに、持ち物を選ぶ時にも自分のライフスタイルに沿って選ばなければ、無駄なものを買ってしまうことにもなる。

ライフスタイルとしてのシンプリスト

はじめにでは私の理想とする生活のために必要な4点を書いた。

  • 経済的不自由のない生活(可能であれば、勤め先に頼らない経済的自由)
  • 趣味のある生活
  • 夢や人生の目標に向かう生活
  • 悪影響のある外的要因の少ない生活

しかし、これからは理想の生活の営んでいくために必要な前提であって、実際に日々送るライフスタイルとは少し違う。今更ながら「シンプルな生活とは?」ということについて考えてみた。

私は学生時代にバスケットボールをしていた。始めた当初は、ドリブルもままならなかったが、練習することで、体が覚え簡単にできるようになった。W杯などでサッカーの試合を見たことがある人も多いと思う。どの選手も簡単にボールを扱っているし、上手い選手ほど高度な技をいとも簡単にこなす。

シンプリストの目指す生活はこのスポーツの例に近いと思う。例えば、料理が苦手だと調理に時間もお金もかかりがち。または限られたメニューの繰り返しでは、食事に味気がない。(ミニマリストにとっては同じメニューの方が、選ぶのに労力を使わなくていいのかもしれないが。)包丁の扱いが得意だとピーラーやフードプロセッサーを持つ必要もない。

熟練まではいかなくても、自分の「生活に必要なことは何でもそつなくこなせる」というのがシンプリストの目指すところなのかなと思う。ある種の自給自足なのかもしれない。

シンプルライフ=自給自足?

私の今時点での答えは「シンプルライフ=自給自足」だ。しかし、近代化前に畑を耕して生活に必要な糧を得なければならないという自給自足とは少し違う。あくまで、必要なものを最適な方法で得るための自給自足。例えとして、生活に必要な衣食住について考えてみる。

服に関して、100%自分好みのものに出会えたことは今までの人生で数えるほどしかない。もし、自分の好きな服を作ることができたら、妥協のないお気に入りの服だけに囲まれて生活することができる。

食に関しても、料理が上手ければ、簡単に調理することができるし、献立に迷うことも少ない。有機野菜にこだわりがあれば、完全無農薬の有機野菜を自分で作ることもできる。(スーパーで有機野菜表示されていても、法律で認められている農薬が使われていることもあるらしい。)

家についても、自分で設計できれば、すべて自分好みにすることができる。またDIYで、ライフスタイルの変化に応じて、部屋の内部を変更することも簡単にできる。(設計ができれば、実際の作業は外注できるが、それでも外注の工事だと大がかりになりがち。)

自分でできるというだけで、自分のシンプルライフに最適の衣食住環境を得やすくなる。もちろん、すべて自分でするのは大変だし、多くの人にとっても現実的ではないかもしれない。しかし、優先順位をつけて、自分でできることを増やすことによって、より理想のシンプルライフに近づくことは間違いない。

まとめ

今の私の考えでは、「理想のシンプルライフ=自給自足」。自分に必要なものを一番分かっているのは自分。理想のライフスタイルに合わせて、(既製品ではなく)自分で作れば妥協する必要がない。しかし、自分一人でするのにも限りがあるので、必要に応じて外部から調達することも必要。

すべての持ち物をなぜ持っているのかを説明できるように、自分ですることと外から調達することに対しても「なぜ」を説明できるようになるのが理想。そうすれば、ライフスタイルすべてにおいてシンプリストになれる気がする。考えれば考えるほど、シンプリストまでの道のりが遠のいていく…。